そう、俺も、どうしようもなく、青春ってやつを無駄使いして、くたばっちまう不良になってたのかも。物語の舞台は高度経済成長時代だけど、今も昔も変わんないよね。青春なんて無駄遣いしてるやつばっかだもの。
――北野武、自身の小説『不良』についてのコメントより
そう、俺も、どうしようもなく、青春ってやつを無駄使いして、くたばっちまう不良になってたのかも。物語の舞台は高度経済成長時代だけど、今も昔も変わんないよね。青春なんて無駄遣いしてるやつばっかだもの。
――北野武、自身の小説『不良』についてのコメントより
歌舞伎を劇場で観るというのは、世紀の変わり目に数回やっただけなのだが、そんなとぼしい歌舞伎観劇経験のなかで、面白い「チャリ掛け」を聞いたことがあった。
歌舞伎で声をかけるといえば、「何とか屋!」「〇代目!」「待ってました!」といった定番のものがほとんどだが、たまにウケ狙いのようなウィットに富んだものがあって、それを「チャリ(掛け)」というのだそうだ。
ウィキペディア等に載っているもので一番面白いと思うチャリ掛けは、いそいそと浮気に出かける主人公に、「いってらっしゃい!」というやつ。
私が聞いたのは、『加賀鳶』で、按摩の道玄が商家を強請りにきて、地元の顔役で鳶の頭の松蔵が駆けつけ、撃退しようとするが、道玄は知恵がまわるし弁も立つ、ああ言えばこう言うで、七五調にあらがって一歩もひかない。そこで松蔵が、いつぞや御茶ノ水で殺しがあった夜、おれは現場付近でおまえを見たんだぞ、と旧悪を暴きにかかるところ。
しかも正月十五日、月はあれども雨雲に、空もおぼろのお茶の水。とんだだんまりほどきだが、小石川から帰りがけ、物騒ゆえに往来の人もちらほら雲間の星、遠目にぴかりと光りもの、またかわうそが脅すかと、油断をせずに来る道端、思わず拾った莨入れ、その時向こうへ行った按摩は、道玄、てめえであろうがな。
次の動画では23:18あたりから。今の海老蔵のお祖父さんである九代目市川海老蔵(十一代目市川團十郎)の松蔵が二代目尾上松緑の道玄と対決。
松蔵が「道玄!」と呼んだあと、「てめえであろうがな」ときめつけるまでに短い間があるが、上の動画ではそこで「成田屋!」と声が飛ぶ。ところが私が観たときには、「てめえだっ!」という声がかかったのだ。
これはちょっと危ない掛け声だと思うのだが、そのとき松蔵をやった二代目中村吉右衛門はまったく動じることなく芝居をつづけた。ちなみに道玄役は五代目中村富十郎だった。
「てめえだっ!」は危ないといえば危ないが、面白いといえば面白い。観客が芝居にのめりこむあまり、思わず役者より先に言ってしまったという感じがあって(もちろん実際には計算ずくだろうが)、茶々を入れるのとはたちが違うように思えるからだろう。
このチャリ掛けは前例があってよく知られているものなのかどうか、樽屋寿助『大向うとゆく平成歌舞伎見物』(PHP研究所)なども覗いてみたが、載っていない。樽屋寿助氏はチャリ掛けに否定的で、否定するために、情緒たっぷりな場面で「情緒たっぷり!」とやる例を挙げているだけだ。
先ほどの動画は昭和30年のものだそうだが、道玄と松蔵の丁々発止のやりとりは、昭和56年十月歌舞伎のもののほうが上だと思う。道玄は同じく二代目尾上松緑、松蔵は十七代目市村羽左衛門。こちらの松緑は声が渋く枯れているし、台詞の間のとり方や緩急硬軟の変化のつけ方が絶品だ。松蔵親分も羽左衛門のほうが貫録があっていい(CDで聴く十一代目團十郎の『河内山』などはすばらしくかっこいいのだが)。
私が観た富十郎と吉右衛門もものすごくよくて、観客の笑いも自然にどっと湧いて、伝統芸能のお勉強をした人が教養で笑っているのとはまったく違っていた。