文芸翻訳者 黒原敏行・ブログ―COAST OF BOHEMIA

わたしがこれから述べようとしていることは、すでに誰かによって少なくとも一度は、ことによると何度も言われたことがあるかもしれない。しかし、わたしにとって大事なことは、内容の真実性如何であって、話題としての目新しさではない。( J・L・ボルヘス「『ドン・キホーテ』の部分的魔術」。『続審問』中村健二訳、岩波文庫、所収)

ルッソ兄弟監督、トム・ホランド主演『チェリー』予告編――若いエネルギーのめちゃくちゃな浪費、そうとも、これが青春だ!

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チェリー

チェリー

 

 

そう、俺も、どうしようもなく、青春ってやつを無駄使いして、くたばっちまう不良になってたのかも。物語の舞台は高度経済成長時代だけど、今も昔も変わんないよね。青春なんて無駄遣いしてるやつばっかだもの。

   ――北野武、自身の小説『不良』についてのコメントより

『バルテュス伝』(N・F・ウェバー、未訳)の引用

苦悩や不安はかれの創作意図とはなんの関係もない。かれの目指すところは苦痛や疎外感を表現することではない。わたしの目標は日常生活のなかの驚異を素朴に祝福することだ、とバルテュスは言った。

   ―― Balthus : A Biography, by Nicholas Fox Weber (黒原試訳)

 

Balthus: A Biography (English Edition)

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 17日にまた翡翠(かわせみ)を見た。この前見たところと同じ場所。これからはあまり見に行かないようにしよう。

しかも正月十五日……

 歌舞伎を劇場で観るというのは、世紀の変わり目に数回やっただけなのだが、そんなとぼしい歌舞伎観劇経験のなかで、面白い「チャリ掛け」を聞いたことがあった。

 

 歌舞伎で声をかけるといえば、「何とか屋!」「〇代目!」「待ってました!」といった定番のものがほとんどだが、たまにウケ狙いのようなウィットに富んだものがあって、それを「チャリ(掛け)」というのだそうだ。

大向う - Wikipedia

 

 ウィキペディア等に載っているもので一番面白いと思うチャリ掛けは、いそいそと浮気に出かける主人公に、「いってらっしゃい!」というやつ。

 

 私が聞いたのは、『加賀鳶』で、按摩の道玄が商家を強請りにきて、地元の顔役で鳶の頭の松蔵が駆けつけ、撃退しようとするが、道玄は知恵がまわるし弁も立つ、ああ言えばこう言うで、七五調にあらがって一歩もひかない。そこで松蔵が、いつぞや御茶ノ水で殺しがあった夜、おれは現場付近でおまえを見たんだぞ、と旧悪を暴きにかかるところ。

 

しかも正月十五日、月はあれども雨雲に、空もおぼろのお茶の水。とんだだんまりほどきだが、小石川から帰りがけ、物騒ゆえに往来の人もちらほら雲間の星、遠目にぴかりと光りもの、またかわうそが脅すかと、油断をせずに来る道端、思わず拾った莨入れ、その時向こうへ行った按摩は、道玄、てめえであろうがな。

 

 次の動画では23:18あたりから。今の海老蔵のお祖父さんである九代目市川海老蔵(十一代目市川團十郎)の松蔵が二代目尾上松緑の道玄と対決。

 

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 松蔵が「道玄!」と呼んだあと、「てめえであろうがな」ときめつけるまでに短い間があるが、上の動画ではそこで「成田屋!」と声が飛ぶ。ところが私が観たときには、「てめえだっ!」という声がかかったのだ。

 

 これはちょっと危ない掛け声だと思うのだが、そのとき松蔵をやった二代目中村吉右衛門はまったく動じることなく芝居をつづけた。ちなみに道玄役は五代目中村富十郎だった。

 

「てめえだっ!」は危ないといえば危ないが、面白いといえば面白い。観客が芝居にのめりこむあまり、思わず役者より先に言ってしまったという感じがあって(もちろん実際には計算ずくだろうが)、茶々を入れるのとはたちが違うように思えるからだろう。

 

 このチャリ掛けは前例があってよく知られているものなのかどうか、樽屋寿助『大向うとゆく平成歌舞伎見物』(PHP研究所)なども覗いてみたが、載っていない。樽屋寿助氏はチャリ掛けに否定的で、否定するために、情緒たっぷりな場面で「情緒たっぷり!」とやる例を挙げているだけだ。

 

大向うとゆく 平成歌舞伎見物

大向うとゆく 平成歌舞伎見物

 

 

 先ほどの動画は昭和30年のものだそうだが、道玄と松蔵の丁々発止のやりとりは、昭和56年十月歌舞伎のもののほうが上だと思う。道玄は同じく二代目尾上松緑、松蔵は十七代目市村羽左衛門。こちらの松緑は声が渋く枯れているし、台詞の間のとり方や緩急硬軟の変化のつけ方が絶品だ。松蔵親分も羽左衛門のほうが貫録があっていい(CDで聴く十一代目團十郎の『河内山』などはすばらしくかっこいいのだが)。

 

 私が観た富十郎吉右衛門もものすごくよくて、観客の笑いも自然にどっと湧いて、伝統芸能のお勉強をした人が教養で笑っているのとはまったく違っていた。

 

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タマネギの皮

何かのときに、夢――夢ということを言いましたね。それは、タマネギをむいてもむいても、皮をむいても、何もない。今この時間も、夢。

 

 あるテレビ番組で四谷シモンが紹介した澁澤龍彦の言葉。酔生夢死の愉悦と悲哀。なんとかちゅーぶで時々聞く。

 

 

翡翠!

 図書館へ行く途中、翡翠(かわせみ)の雄を目撃。瑠璃色、鮮烈。

 

 これで三度目。二度目は「たぶん」だったが、今回は初回同様まちがいなし。もっとも見えていたのは二秒くらいで、双眼鏡をポケットから出したときにはもう消えていた。「時よとまれ、おまえは美しい!」と内心でつぶやいても無駄だった(いや、つぶやいてませんが)。

 

 図書館からは『ファウスト』の各種訳本を借りてきた。

 

 帰宅して数時間後、ある訳書の重版のお知らせをいただいた。翡翠は吉兆だったのか。衝動的に『百鬼園先生 内田百閒全集月報集成』(中央公論社)を注文してしまった。

 

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蝿の神、蝿の王

 ゲーテの『ファウスト』に〝蝿の神〟という言葉が出てくる(池内紀訳・単行本『ファウスト 第一部』64頁)。鴎外訳でも〝蝿の神〟となっている。

 

 この〝蝿の神〟、David Constantine の英訳では〝Lord of the Flies〟。つまり「蝿の王」(ベルゼブル)なのだった。

時候おくれの回り持ち

「敬服していいかね。君も今に六十ぐらいになるとやっぱりあの伯父みたように、時候おくれになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの回り持ちなんか気がきかないよ」

           ――夏目漱石吾輩は猫である

 

 迷亭君が苦沙弥先生に「時候おくれ」(時代遅れ)にならないよう忠告するところ。スマホを持たないなど、いろいろ昭和をひきずっている私は、まさに「時候おくれの回り持ち」をやっている。高校生の頃からの愛読書である『猫』のこんな箇所が「ささって」くるとは思わなかった。